不治の病が治るとき
不治の病とは、決して治ることのない病気のことを指す。
私の病気、脊髄性筋萎縮症(SMA)も治療法の確立されていない不治の病の一つである。
進行とともに少しずつ筋力が低下していき、病状によっては日常生活のほとんど全てのことが自分では出来なくなる。医療的ケアが適切に行われなければ、命が危ぶまれることだってあるかもしれない。そんな病気だ。
近頃どうやら、この病気に対する治療薬の開発が目覚ましく進んでいるらしい。
現在世界各国でその治療薬の治験が行われており、すでに結果に基づいて一般に流通させるための審査がされている国もあるようだ。
この病気が治る(回復する)可能性が出てきたということである。
私の体の中では、筋肉のためのタンパク質が体内で生成することができないらしく、それが原因で筋力が徐々に低下していくようだ。
その治療薬は、筋肉のためのタンパク質を体内で生成できるようにしてくれるものらしい。
だから治るというより、本来のこの病気の原因に対して作用し、症状(筋力の低下)を起こさせないようにしてくれるものなのかもしれない。
これらの情報は、私が聞きかじった話と、簡単にインターネットで調べたことを私なりに解釈してまとめたものだから、間違っているかもしれない。
詳しく正確な情報を知りたい人は、【SMA 原因】【SMA 治療薬】【ヌシネルセン】といったワードで検索すればヒットすると思うので、調べてみてほしい。
少し調べてみた範囲では、歩くことも座ることも難しいであろう重度なタイプの子(生後数ヶ月)が、この薬を投与したことで歩けるまでになった。という治験結果もでているらしい。
イメージが難しいかと思うが、これは「クララが立った」レベルの話ではない。「豚が空を飛んだ」くらいの"ありえない"ことなのだ。ただの豚ではなくなるということだ。
私が立つことは、その薬がうまく作用したとしても難しいことなのだと思う。それは、今までの筋力低下が原因で関節が固まったり、きっとタンパク質が生成されても動けないくらい筋力が衰えているから。
とはいえ、私くらいの進行度であっても、筋力が回復することが期待できるらしい。本来は低下していくしかなかった私の筋力が、増加する(かもしれない)のだ。それはいったいどんな感覚なのだろう。
私がその話を聞いて持ったのは、喜びや嬉しさといった気持ちではなく、大きな興味と好奇心だった。
この病気は治らないもの、一生付き合っていくもの。という意識が私の中には強くあった。この病気に対する治療薬の開発などの研究が行われていることは知っていたから、それが進めばこの病気が治る可能性だってゼロではないということも分かっていた。
それでも、どんなに研究者たちが頑張ってくれたとしても、治る未来はきっと私の生きているうちには訪れないだろうと思っていた。だから、私は治る(回復する)かもしれないなどとは少しも思っていなかった。
それは、研究者達をバカにしていたからではない。過度な期待は、自分を苦しめることを私は知っていたからだ。不治の病は治らないから、不治の病なのである。ある意味で、諦めていたのだ。
もしかすると数年後には、私はその薬を手に入れているかもしれない。その薬で私は、出来なかったことが出来るようになっているかもしれない。歩くことも、絶対にありえないとはいえない気もしてきた。
こんな風にたくさんの期待をして、それが起こらなかった時には、大きなショックを受けることになる。
だから期待はほどほどにするとして、薬一つでここまでの可能性を見出せるのだ。それは本当にすごいことだと思う。
そんな薬を開発した研究者や、技術者には頭が上がらない。正直現代の技術をナメていた。心から謝罪したい。
ブログのネタにするほどには、心動かされる話題ではあったが、私はこの話を極めて冷静に受け止めているつもりだ。現実問題どこまでいけるのか、まだ計り兼ねている。
そんな気持ちとはまた裏腹に、
「治験とか副作用とか審査とか基準とか、そんなものどうでもいいから今すぐ!ねぇ今すぐその薬を私にちょうだい!楽になる可能性があるならなんだって欲しい!!!」
という、狂気じみた回復を求める感情が少しだけ自分の中にあることに気づき、驚いた。
あぁ、私治りたかったんだ。私はこの病気をやはりどこかで受け入れていなかったのだなあ。受け入れた気になっていただけなのかもしれないと。
これからどうなるのかは、誰にもわからない。
ただ、治る治らないは置いておいたとしても、未来は明るいものであって欲しい。