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君の膵臓をたべたい

年末年始は、実家にも帰らずのんびりと過ごしていた。

大晦日と三が日は、普段よりも少し夜更かしができる。せっかくだから遅くまで起きていようと思ったが、特にすることも、やりたいこともなかった。

虚しい年末年始を過ごしたくないという、何かに対する謎の抵抗心と、時間とほんの少しのお金を持て余していたので、せっかくだから久々に小説でも読んでみようかと思い立ち、何冊か本を購入した。

漫画やライトノベルは日頃よく買っており、選ぶことも苦ではないのだが、小説は最近めっきり読んでいない。どれを選んでいいのかひどく悩んだ。

どうせ買うなら面白く、読んだ後心が動かされるものが良いなと思いながら選んだ本は、アマゾンや書店のオススメで、有名な賞を受賞したメジャーなものだった。

 

その中の一冊がタイトルの通り、住野よる氏の「君の膵臓をたべたい」というものだ。

 

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

 

 

 

 まずタイトルに惹かれた。なんという衝撃的な一文だろう。

読む前は、

『これはよくあるヤンデレをこじらせた、イマドキの恋愛小説だろうな。心臓をたべたいというならまだしも膵臓というマニアックな臓器を選ぶなんて、洗練されたヤンデレだ…』

などと、タイトルから物語をそれこそマニアックに想像し、一人で感心していた。

実際は、

膵臓の病でそう長くは生きられないという秘密を持ったクラスメイトの女の子と、その秘密を知ってしまった地味で、あまり人と関わるのを好まない主人公のお話】

だった。私の想像よりはるかに、綺麗で、純粋な物語だった。

 

私は、物語は予備知識があまりない方が楽しめる。と思っている。だから、詳しく内容について語るつもりはない。興味を持った方は是非読んでみてほしい。私の最近のおすすめである。

 

この本を読んで、なぜか私は物語の大筋とは大して関係がないであろう、ある一節が印象に残った。それは、下記のようなものだった。

 

 世の中には大病治すではなく寄り添うという闘病法あるというのはどこか聞いたことあったでも、進化させるべき技術は、どう考えても治す技術であって、病気と仲良くする方法ではない。

 

クラスメイトと関わる中で、治らない病について、主人公が考えたことの一部分だ。

この一節を読んで、私は驚かされた。

病気というものは、付き合うものではなく治すべきもの。という考え方は、主人公が思うように一般的に持たれるものだろう。それが全てではないが、その考えは間違っちゃいないと思う。

 

治らない病気と生まれた頃から生きてきた私は、病気があることが当たり前になっている。それはこれからも変わることのないことだろうから、それなら共に楽に生きていこう。と、ある種の共存意識のようなものがあった。長年そういった考えで生きていたものだから、

「進化させるべき技術は、どう考えても治す技術であって、病気と仲良くする方法ではない。」

と言い切る一文に、「そうだった!!!治すという発想は、いつの間にか私の中で綺麗さっぱり消え去っていた!」という衝撃を受けた。

 

だからどうこうというわけではなく、私の病気が治る治らないも今の私にとってはどうでもいいことなのだが、思わぬところでそういった考え方に改めて気づかされた。というだけの話だ。

 

本は読む人や、読むタイミングなどによって感じることや受け取るものが違う。面白いものだ。

 

もし、他の人がこの本を読んだら何を感じ、どの部分に関心を持つのだろう。聞いてみたい気もする。