その話はチラ裏でよろしく

それでも聞いてほしい話とか、諸々の雑記

チラシの裏のひとりごと

突然だが、私のブログの表題にある『チラ裏』という言葉をご存知だろうか。

 

随分と前に2ちゃんねるなどのネット上で使われていた言葉だ。

今ではあまり目にすることのない単語ではあるのだが、あえて使ってみた。私は死語と呼ばれる言葉達が好きらしい。

 

『チラ裏』とは『チラシの裏』の略語で、自分の日記や他人の目に触れない場所にでも書いておけばいいような、どうでもいい書き込み(発言)に対して「チラシの裏にでも書いておけ」という言い回しがされたことからできた言葉だそうだ。

 

このブログにもそんな『チラ裏』に書くべき、どうでもいい独りよがりなひとりごとを書き連ねていこうと思う。

 

思い起こせば幼い頃、「絵を描きたいから紙をちょうだい」と母親に言った時、裏の白いチラシを渡された記憶がある。

落書き帳やメモ紙といった"ものをかくためのモノ"をくれるのだとばかり思っていたから、ひどく驚いた記憶がある。もしかするとその時私は母親に「これじゃない」と言ったかもしれない。

これしかないからこれで我慢しなさい。という言葉に負けた私はいつしか、何かをかく紙が欲しくなった時には「裏の白いチラシはあるか」と聞くようになった。

私にとって当時『チラ裏』は日記で、スケッチブックで、思いの丈をぶちまけられる場所だった。チラシなら何をかいても簡単に捨てられる。それは私にとって、いろいろと都合が良いことだった。

 

最近のチラシは、両面印刷のものが多いらしい。

もしいま、子どもの私が当時のように、裏の白いチラシを求めたら。もし、裏の白いチラシが無かったら。私には何が与えられるのだろう。落書き帳か、印刷用紙か、はたまた一台で何役もこなすタブレット端末を与えられる可能性も、なきにしもあらずだろう。

 

本当なら幼い頃を思い出し、本物のチラシの裏に書いていきたい気分だが、そうもいかないのが現状だ。

新聞をとっていないから、裏の白いチラシを手に入れることが難しい、というのもある。

だがもっと大きい理由は、私はもう当時のように、チラシの上でペンを自由に走らせることができないからだ。

 

私と生まれた頃からの付き合いである脊髄性筋萎縮症という難病は、少しずつ私の全身の筋力を衰えさせている。当時は特に不自由もなく、ペンを持ち動かせていた手も、今ではわずかにしか動かない。

病気については、追って話していくので割愛させてもらう。ともかくそんな理由で、私はブログを『チラ裏』として利用していくことに決めた。

時に日記として、スケッチブックとして、そして感情のはけ口として。

ひとりよがりな独り言を書き連ねさせていただこう。

 

まずは三日坊主にならないことを祈る。