その話はチラ裏でよろしく

それでも聞いてほしい話とか、諸々の雑記

しにんにくちはなし

「今日は〇〇さんの誕生日です」

最近のSNSは便利だ。いちいち人の誕生日を覚えずとも、友達に登録していれば通知で知らせてくれる。ならばせっかくだしお祝いのメッセージでも送ろうか、という気持ちにもなる。受け取る側からしたって「お誕生日おめでとう」というたった一言のメッセージでも嬉しいものだ。そもそもこのように他人から祝われることに抵抗のある人ならば、SNSというツールを使ってはいないだろう。

送って損もない、貰って損もない。手軽にお互いが気持ちよくなれる時代になったなと思う。

私は人の誕生日を覚えるのが苦手だ。10年来の友人の誕生日を完璧に覚えられたのもここ数年だし(「肉球の日だね」という共通の友人の一言で覚えられた)、家族の誕生日ですらあやふやでいつも確認しては、一日ズレており訂正される。そんな私にとっては、大変便利でありがたい機能なのだろう。あまり活用していないけれど。

 

先日届いた通知は、だいぶ前に亡くなった知人の誕生日を知らせるものだった。その人のアカウントは亡くなった後もそのまま残されており、私も特別友達から削除する必要を感じていなかったので、いつも通り誕生日が知らされた。

その人の存命中も、特にやり取りをしているわけではなかった。だから私は「今日が誕生日だったのか。にしても死んだ後も誕生日を通知されるなんて、まるでまだ生きているみたいだな」と、なんだか不思議な気持ちになっただけだった。

家族や親しい人であれば、亡くなった後も「今日が誕生日だった」とか「あの人はこれが好きだった」などと、思い出したり懐かしんだりすることはあるだろう。でもそれは、その人がここにいないという前提で話しているものだ。

人工知能が発達してきたとはいえ、現在のSNSの誕生日通知は「亡くなった〇〇さんの誕生日です」とは教えてくれない(設定をすれば可能かもしれないが)。友達に登録している人全員に通知されるものだから、亡くなったことを知らない人が見れば、その人はその日にいつもと変わらず誕生日を過ごしていることになるのだ。はじめに書いたように、何の気なしに「お誕生日おめでとう」とメッセージを送る人もいるかもしれない。その人に届くことはないとは気づかずに。

もしくは、意識的にそういったメッセージを投げかける人もいるかもしれない。ここに送れば、その人に届くかもという祈りを込めて。それを否定するつもりはないが、全体公開で行うのはいかがなものなのだろう。…という私個人の見解については、また別の機会にしておこう。

 

インターネットやSNSの爆発的な普及で、人は簡単に繋がれるようになった。端末を振ったり、自分のIDや名前を伝えるだけで連絡先を交換できるようになった。それはとても凄いことで、実際私の生活も、その仕組みに大いに支えられ助けられている。

と同時に、インターネット上で死ぬことが難しくなったな。とも思った。亡くなった後も知らされる誕生日、消えないアカウント、残った投稿達。消さない限りはずっとそこに残り続けるのだ。

自分がそうなった時を考えると、気味が悪くなってきた。今すぐ全てのアカウントを消して、必要最低限の連絡先のみで生きていきたい気がしてきた。今まさにネット世界に自身の爪痕を残そうとしている私が、何を言うかという話ではあるのだが。

死後は必要最低限のコンテンツのみを残しておきたい。ここも消してしまっていい。私のいないアカウントはただの抜け殻なのだ。そこに私はいない。

私に話しかけたいのなら、私の墓かどこか適当な空に向かって心の声で話しかけてくれればいい。私がうまくあなたの声が拾えて、どうにか返す術を会得していたら、きっと話ができるだろう。そうでなければ、もう私はこの世にいない。きっとあの世でよろしくやっている。だからそっとしておいてほしい。

 

重い病気のある人たちにとって、時に死というものはそう遠くないものであると思う。現に私の病気はついこの間まで20歳まで生きることは難しいと言われていた。今だって、これから20年健康に生きていくための努力と、なるべく早く死ぬための努力(悲しい方向性だが)とを比べたら、おそらく圧倒的に後者の方が少ないコストと労力で行うことができるのだろう。何もしなければ、わりと簡単に死ねるのだ。それを選ぶかは別として。

 

私は、時々自分が死んだ後のことを考える。子供も家庭もないから、私がいなくなって成り立たなくなるものは現時点では存在しない。多少困ったり大変なことはあるかもしれないが、おそらくどれも他の誰かや何かで代替できるものだろう。

そう考えたら、なんだか悲しくなってくる。悲しんでくれる人はいると思うが、私がいなくても問題なく世界は回るのだろう。でもそれは、誰にでも当てはまることだ。大して気に病むことでもない。

 

一つだけ、嫌だと思うことがあるとするなら、死後に私の気持ちを代弁する輩が出てくることだ。「色々頑張ってたけど、最後に〜出来たんだ。きっとよかったと思ってるだろう」とか「あの子も天国で感謝していると思います」とか。

私が今、なんらかの事情で死んでしまったとしたら、未練しかない。何一つ、これで終わってよかったと思えることなんてない。もし適当な理由をつけて、私のこの人生を美談にするものがいるなら、私は絶対に許さないし、あの世から呪ってやろうと思う。私の気も知らないで勝手に私の気持ちを決めつけるな。

たまにいるのだ、その人が亡くなる前何を思っていたのかを想像することもせずに、人の人生を勝手に美しいものとして終わらせようとする人が。抵抗や後悔や悲しみにまみれて終わった可能性だってあるのに。そんな暗い側面を見ようともしない。

私は、それをあまり気持ちよく思わない。だからできるなら死ぬ前に、その瞬間の自分の気持ちを、大切な人に伝えて終われたらいいと思う。「後悔ばっかりだったよ」と言い残していなくなることもまた、残った人に対してしこりを残してしまうだけかもしれないが。

 

死をテーマにしているから、何か思い悩んでいるのかと思われるかもしれないが、そんなことはない。なぜなら私はまだ死ねないのだ。どうせ美談にされるなら「自分もそう思う」といえる形に持って行けるまでは、死ねない。そして、死後の私にむやみやたらに触れられる機会をなるべく減らすために、SNSの管理についてもちゃんと整理するまでも死ねない。今から終活をしている気分である。就活も経験せずに終活を考えるなんて、なんだか不思議なものだ。もっとも、こういう人間に限って、図太く長生きするのかもしれない。

 

 

死人に口はない。

だから死ぬ前に、言いたいことは言っておかなくてはいけないのかもしれない。

人様に勝手に代弁される前に。

スポンジのように

様々なことを吸収して生きていきたいと常々思う。

知識や考えや、経験や人との出会いから得る何かをたくさん吸収して、どんどん大きくなりたい。


いつでも新しい、自分にないものを吸収していられたらいいと思う。何かを拒絶するでもなく、何かに心酔するでもなく、あるものをそのまま吸い込んでいければいい。

年を重ねるごとに、それは難しくなるのだろうか。そうならないでいられたらいい。


吸収し過ぎて自分の重さに耐えられなくなってしまったら、大切なものだけ残して、絞ってしまえばいい。

そうしてできた余裕で、また新しいものを吸い込んでいけばいい。


ブヨブヨになっては絞って、

またブヨブヨになって。

そうしたらきっと人として、少しは大きくなれるのではないだろうか。


最後に絞って残ったものが、私にとって本当に大切で、かけがえのないものなのだと思う。


私はまだ自分の中の核となる、かけがえのないものを見つけられていない。

それを見つけるためにも、たくさんのものを吸収して生きたいと思う。



スポンジのように。

私の右は、あなたの左

「他人の手を借りなければ、生活していくことができない」

とてもネガティブな内容に聞こえるこの言葉だが、私にとっては、そうでもない。介助を受けることは、私にとって、生まれてからずっと変わらず行われてきた事である。それを今更嘆いても、特別な事だとも思っていない。

呼吸や体内をめぐる血液が止まってしまったら、生きることができなくなる。私にとって、「介助を受ける」ということは、呼吸や血液の循環と同じような扱いなのかもしれない。(以前の記事では、スーパーで野菜を買うことにも例えていた)

息をするのにいちいち意識をするだろうか。今吸おう、どうしてこのタイミングで息を吐いてしまうのだろう。などと考えながら呼吸をする人はいないと思う。大事ではあるけれど、常日頃からそこまで意識はしていない。介助を受けるということは、それらと似たような感覚なのではないだろうか。

 

似た感覚だとはいえ、呼吸や血液の循環のように、自動的に滞ることなく介助を受けられることはまずあり得ない。他人の手は、私の意のままには動かすことはできないから。

私がトイレに行きたいなと思っただけでは、トイレには行けない。介助者に、その意思を伝えてはじめて私の身体は動き出す。

熟練した介助者であれば、「トイレに行きたい」と一言言っただけで、私の体を抱え所定の位置へ運び、服を下げ用をたすのにちょうど良い姿勢に、私を導いてもらうことも可能かもしれない。

それでも、二十数年介助を受けてきて、熟練した介助者とも関わってきた事もあるが、介助を受ける際に私が相手に何も伝えないまま、スムーズにお互いが心地よく、何かをしてもらえた事は一度もない。

それは、介助者たちの力量不足のせいではない。また、その事を責めているつもりも一切ない。

私の痛みや心地良さは、私にしかわからない。

下着がよれて居心地が悪い事も、腕の位置が悪いせいで手の動きがうまくいかない事も、私が伝えなくては、介助者には伝わらないのだ。どんなに介助者が気を使って、細部まで確認してくれても、私の感覚全てを察することは不可能だ。彼らがエスパーではない限り、そんなこと分かるわけがない。当たり前だ。私も彼らの痛みや気持ちまではわからない。

 

私は、自分の手の代わりに介助者の手を操っている。

他人と私の身体の神経は繋がらないから、代わりに言葉を使って。どんなに頑張ってもまだ、意のままには動かせないけれど。

そうして私は、私の生活を成り立たせている。確かに人に"やってもらって"いるのだが、それらはあくまで私の意志でなされているはずだ。

 

介助の指示(偉そうな表現かもしれないが)をするときに、よく使われる言葉は【上下左右】である。

何かを上に。もう少し右に。行き過ぎた。少し下…

という具合に、思う場所に何かを導く場面はよくある。

その中で、ときどき左右が通じない事があるのだ。私が右手と言っているのに、介助者は私の左手に触れる。なぜだか想像がつくだろうか。

 

介助を受けるとき、介助者は私の向かい側に立っている事が多い。その時、私が言う右は、その人にとっては左になる。だから、右と言われたら反射的に右側(私にとっての左)へ手を伸ばしてしまうのだろう。

私はミスを責めたいのではない。そっちじゃないよ。で解決することだから、特に気に留めない。それに上手く伝わらない時には、「あなたからみて左」と言ったり、壁や窓などの分かりやすいものを指して「壁の方」などと言ったりすればいい話だ。

 

介助は人と人の関わりで成り立つ。私はできるなら、お互い心地よく関わりたいと思う。どちらか一方が辛かったり不快な思いをしないように。だからなるべく丁寧な態度で、分かりやすく伝えようと心がけている。なにか負担になることがあれば、どうすればそれを軽減できるか考えたいと思う。それは、人に”やってもらって”いるからではない。私が気持ちよく生活していきたいからだ。

 

 

私は介助者に”ノーミスの完璧さ”は求めていない。誰だって間違うことはある。私もよくメガネをかけているのに「メガネをかけてください」と頼むことがある。3D上映の映画を観るわけでもないのに。

向かい合っていれば、左右の認識が違うのは当然のことだ。

介助者に何かを求めるとするなら、立ち位置や立場で物事の見え方が違うことを知っていてほしいと思う。

私の生活に介入しているのだから「私の右は、あなた”も”右」だと思われては困る。言いなりになれというのではない。お互い心地よくいるため、少しこちらに歩み寄ってほしい。

 

日常の全てを人の手で行われる感覚を、はたしてこのような障害のない人々は理解できるのだろうか。きっと難しいのだろう。

私には、ペットボトルの蓋を開ける感覚も、階段を駆け上がる感覚も理解できない。

それでも、興味をもつことや、知りたいと思うことは決して悪いことではないはずだろう。

不治の病が治るとき

不治の病とは、決して治ることのない病気のことを指す。

私の病気、脊髄性筋萎縮症(SMA)も治療法の確立されていない不治の病の一つである。

進行とともに少しずつ筋力が低下していき、病状によっては日常生活のほとんど全てのことが自分では出来なくなる。医療的ケアが適切に行われなければ、命が危ぶまれることだってあるかもしれない。そんな病気だ。

 

近頃どうやら、この病気に対する治療薬の開発が目覚ましく進んでいるらしい。

現在世界各国でその治療薬の治験が行われており、すでに結果に基づいて一般に流通させるための審査がされている国もあるようだ。

 

この病気が治る(回復する)可能性が出てきたということである。

 

私の体の中では、筋肉のためのタンパク質が体内で生成することができないらしく、それが原因で筋力が徐々に低下していくようだ。

その治療薬は、筋肉のためのタンパク質を体内で生成できるようにしてくれるものらしい。

 

だから治るというより、本来のこの病気の原因に対して作用し、症状(筋力の低下)を起こさせないようにしてくれるものなのかもしれない。

これらの情報は、私が聞きかじった話と、簡単にインターネットで調べたことを私なりに解釈してまとめたものだから、間違っているかもしれない。

詳しく正確な情報を知りたい人は、【SMA 原因】【SMA 治療薬】【ヌシネルセン】といったワードで検索すればヒットすると思うので、調べてみてほしい。

 

少し調べてみた範囲では、歩くことも座ることも難しいであろう重度なタイプの子(生後数ヶ月)が、この薬を投与したことで歩けるまでになった。という治験結果もでているらしい。

イメージが難しいかと思うが、これは「クララが立った」レベルの話ではない。「豚が空を飛んだ」くらいの"ありえない"ことなのだ。ただの豚ではなくなるということだ。

 

私が立つことは、その薬がうまく作用したとしても難しいことなのだと思う。それは、今までの筋力低下が原因で関節が固まったり、きっとタンパク質が生成されても動けないくらい筋力が衰えているから。

とはいえ、私くらいの進行度であっても、筋力が回復することが期待できるらしい。本来は低下していくしかなかった私の筋力が、増加する(かもしれない)のだ。それはいったいどんな感覚なのだろう。

 

私がその話を聞いて持ったのは、喜びや嬉しさといった気持ちではなく、大きな興味と好奇心だった。

 

 

この病気は治らないもの、一生付き合っていくもの。という意識が私の中には強くあった。この病気に対する治療薬の開発などの研究が行われていることは知っていたから、それが進めばこの病気が治る可能性だってゼロではないということも分かっていた。

それでも、どんなに研究者たちが頑張ってくれたとしても、治る未来はきっと私の生きているうちには訪れないだろうと思っていた。だから、私は治る(回復する)かもしれないなどとは少しも思っていなかった。

それは、研究者達をバカにしていたからではない。過度な期待は、自分を苦しめることを私は知っていたからだ。不治の病は治らないから、不治の病なのである。ある意味で、諦めていたのだ。

 

もしかすると数年後には、私はその薬を手に入れているかもしれない。その薬で私は、出来なかったことが出来るようになっているかもしれない。歩くことも、絶対にありえないとはいえない気もしてきた。

こんな風にたくさんの期待をして、それが起こらなかった時には、大きなショックを受けることになる。

だから期待はほどほどにするとして、薬一つでここまでの可能性を見出せるのだ。それは本当にすごいことだと思う。

そんな薬を開発した研究者や、技術者には頭が上がらない。正直現代の技術をナメていた。心から謝罪したい。

 

ブログのネタにするほどには、心動かされる話題ではあったが、私はこの話を極めて冷静に受け止めているつもりだ。現実問題どこまでいけるのか、まだ計り兼ねている。

そんな気持ちとはまた裏腹に、

「治験とか副作用とか審査とか基準とか、そんなものどうでもいいから今すぐ!ねぇ今すぐその薬を私にちょうだい!楽になる可能性があるならなんだって欲しい!!!」

という、狂気じみた回復を求める感情が少しだけ自分の中にあることに気づき、驚いた。

 

あぁ、私治りたかったんだ。私はこの病気をやはりどこかで受け入れていなかったのだなあ。受け入れた気になっていただけなのかもしれないと。

 

 

 

これからどうなるのかは、誰にもわからない。

ただ、治る治らないは置いておいたとしても、未来は明るいものであって欲しい。

 

ニートだった頃

今も大して変わらない生活を送っているが、高校を卒業して1年間はニート生活をしていた。


高校卒業後は大学進学を希望していたが、諸々の事情で断念せざるを得なくなったのが、高3の春頃。

それまで大学進学以外の進路など全く考えていなかった私は、それはもう途方にくれた。

幸いなことに、私がいたのは何もせずとも食いっぱぐれることは万に一つも起こらない環境だった。何もしなくても、何かをしても、許される自由な時間を手に入れた。


私は、疲れていた。そこまで勉強を頑張ったわけでもないし、生徒会やその他活動に情熱的に取り組んでいたわけでもない。普通の学校生活を送るのになぜか多くのエネルギーを使っていた。

進路も見失ったことだし、もう頑張ることもないから、少し休もうと思った。


そんな中でも、何もやらない訳にはいかない。というプライドの高さをいつも通り発揮し、週に一回のアルバイトという形で、一つだけ外部とつながる機会を作ることができた。正確に言うと、ニートではなかったのかもしれない。働いていたからではなく、それ以外の週休6日は、なにもせず部屋にこもり一人でパソコンとにらめっこしていたのだから、ニートというより廃人だった。


そんな私を見かねてか、各所から少しずつ「これをしてみないか?」と似顔絵制作の依頼や、ミーティングへの参加などのお声がけを頂くことがあった。最初は渋々なものもあったが、できる範囲で手を出し続けていたこともあり、今では前より多少部屋を出て人と関わる時間が増えた。


今でも根本は大して変わらず、廃人ではあるのだが、多少人に近づいてきたのではないかと思う。


ニートは働くべき

と言いたいわけではない。生活に支障がないのであれば、好きに生きたらいい。私もそうしたいと思う。

それでも、どこかほんの少しでいいから、人と関わる機会は持っていたほうがいいと思う。

人と関わることは、自分に役割ができるということだ。

その役割が一つもないと、途端に生きている意味を失う。


高校生という役割を失った私は、次の自分の役割(探せばいくらでも持っていたのに、当時は見えなかった)が見つからず、どうしていいか分からなかった。

それが、様々な形で人と関わり続けることで、なんとなく見えてきた。


だから、ニートだけではなく、自分がよくわからず困っている人は、ほんの少しでいいから人と関わる習慣をつけるようにしてみたらどうかと思う。それが一番大変なのだという人もいるかもしれないが。(私とか)

でもそうすれば、そこから少しずつ広がっていくこともあるかもしれない。


当時の私を一つだけ褒めるなら、あの時少しでもアルバイトをしよう(外部とつながろう)と思ったことである。


重いものは持たない

私と同じ病気の就学前のお子さんがいるお母様から、とある方に相談があったそうだ。

相談内容は

【子供の病気が進行していく中で、今後どのような支援が必要になるのか。また、どのようなことに気をつければよいのか】

というようなものだったと思う。

似たような相談を 全国からいくつも受けているその人から「その病気のプロとして、自分だったらこの相談にどう答える?」と聞かれた。

病気にプロもアマチュアもあったもんじゃないし、分野はあれど支援についてはその人のほうが遥かに精通している専門家である。だから自分が答えるのはお門違いだ。と思いながらも、確かに20数年様々なことを経験し、支援を受けてきた身として何か伝えられることもあるかもしれないと、自分なりに考えたことを書き残そうと思う。

 

どうせなら、私(とその親)が経験した苦労や悲しみを味わわず、健やかで幸せに過ごしてほしい。という経験者からのただのお節介というやつだ。人にお節介を焼くようになるなど、私も随分と出世したものだ。

 

 

その相談に対する答えとして、成長していく中で、生活や医療などどんなことが予想され、具体的にどんな支援が必要になるかという詳細は、それこそ医師・理学療法士作業療法士などの専門家から話を聞く方がいいだろう。だから私は、そういった方向ではなく「20年前の自分と母親に会ったら伝えたいこと」という観点で考えてみた。

残念ながら、元気だよとか、産んでくれてありがとうなどという、ありきたりなお話にはならない。当時から持っていられたら、少しは楽に生きられたであろう『考え方』についてのお話になる。

 

私が伝えたいのは、

『他人にどんどん迷惑をかけてください』

ということだ。

 

この病気は、体の筋力が衰え徐々に動かなくなるものだ。私は生まれてから一度も歩いたことがない。今ではほとんど手足は動かず、僅かな指の動きで、マウスと車椅子の操作をするジョイスティックを動かしている。

逆に言うと、それ以外は自分の力では何もできないのだ。だから、食事や着替えや排泄や車椅子の乗り降りなど、私の日々の生活は全て、他人の手を借りて成立している。

 

当たり前だが、そのお子さんは少しずつ成長する。成長と共に、病気も少しずつ進行していくだろう。それは、特に嘆くことでもない。適切な支援や必要な医療的ケアを受けることができれば、そこまで辛く苦しいものにならないだろうと私は感じている。

そうはいっても、病気の進行によって起こることとして一つ断言できることがある。それは、必要な介助や支援は確実に増えていく。ということだ。

お子さんが小さなうちは、介助といっても一般的な子育てと大して差のない程度かもしれない。多少大変でも、家族でなんとかできることもある。無理のない範囲でやっていけるなら、何も気にすることはないと思う。

 

この病気は、重いものだ。辛く苦しいものではないと言ったが、重いものであるのは間違いない。医学やテクノロジーの進歩によって、昔よりも長生きできるようになっているらしい。生まれた頃は、20歳まで生きられないと言われていた私も、いつの間にかとうにその年を超えている。「きっと今、人生で一番体調がいい」といえるほど健康な生活を送っている。このままだと天寿を全うすることさえできるかもというほどだ。

だからといって、病気が治ったわけではない。今もずっとここにある。進行とともにその重さは増し、人生で一番体調がいい今は、同時に人生で一番病気が重い今でもある。

 

きつい言い方かもしれないが、そんな風に少しずつ重みを増すこの病気は、例え親であったとしても、たった二人(と本人)で背負いきれるほど軽いものではない。

この病気を深刻に捉えているでもなく、その子の親が無力だとも思わない。それでも、自分達だけで背負うにはあまりにも重い。無理をすればきっと、その重さに潰されてしまうだろう。それはとても悲しいことだ。

 

ではどうすればいいのかというと、答えは簡単だ。

自分達だけで背負おうとしなければいい。自分で持つのは不可能だと早々に諦めてしまうのだ。諦めて、他人に助けを求める。専門家(ほとんどいないというのが現状だが…)、経験者、友人、知人、隣に住む住人、道行く人…。誰だって構わない。どんどん他人に"迷惑"をかけるべきなのだ。

 

私は幼い頃からよく「人に迷惑をかけるんじゃないよ」と、耳がタコになるだけでは飽き足らず、自分という存在自体が"迷惑そのもの"なのではないか?と錯覚するほど、周りから言い聞かされてきた。

自分にできない何かを他人に頼むことは、迷惑をかけることなのだろうか。そうだとすると、私の生活を成り立たせるための介助は、全て他人に迷惑をかけることに当てはまるだろう。言ってしまえば、生きてることが”迷惑”ということにもなる。

少々被害妄想がすぎるが、病気を否定的に捉えるとそう思い込むことだってありえるのだ。

そんな風に考えていたら、他人に何かを頼むことなんて絶対にできない。

「他人に迷惑をかけるくらいなら、私がなんとかする。私が頑張るしかない。母親なんだから、この子には私しかいないから」

こんなことを思っていたかは知らないが、似たような事情で実際に押しつぶされた人を、私は知っている。

 

 

人によってその基準は異なるから、他人に何かを頼んでも、迷惑だと断られることもあるかもしれない。それでも、手を貸し一緒に悩んでくれる人もまた、どこかにいるはずだ。

 

私は自分に必要で他人に頼まなくてはできない何かを、人に迷惑をかけることだと思いたくない。その中には、私の生活の介助や支援も入っている。

スーパーで野菜を買うとき、農家の人に対して「野菜を育てるという迷惑をかけて、申し訳ない」と思いながら買い物をするだろうか。

私はスーパーで野菜を買うのと同じような感覚で、介助や支援を受けていけたらと思う。なぜならそれは、野菜と同じく私にとって当たり前に必要なことだから。もちろん、介助者や支援者、協力者に対しての感謝は忘れない。

 

長くなってしまったが、これから必要になる介助や支援を、迷惑などとネガティブにとらえずに、どんどん他人を巻き込んで、手を借り、自分達が楽に暮らしていける方法を模索していったらいいのではないかと思う。自分たちだけで抱え込もうとしなくていい。

そもそも持てるものでもないのだから。

君の膵臓をたべたい

年末年始は、実家にも帰らずのんびりと過ごしていた。

大晦日と三が日は、普段よりも少し夜更かしができる。せっかくだから遅くまで起きていようと思ったが、特にすることも、やりたいこともなかった。

虚しい年末年始を過ごしたくないという、何かに対する謎の抵抗心と、時間とほんの少しのお金を持て余していたので、せっかくだから久々に小説でも読んでみようかと思い立ち、何冊か本を購入した。

漫画やライトノベルは日頃よく買っており、選ぶことも苦ではないのだが、小説は最近めっきり読んでいない。どれを選んでいいのかひどく悩んだ。

どうせ買うなら面白く、読んだ後心が動かされるものが良いなと思いながら選んだ本は、アマゾンや書店のオススメで、有名な賞を受賞したメジャーなものだった。

 

その中の一冊がタイトルの通り、住野よる氏の「君の膵臓をたべたい」というものだ。

 

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい

 

 

 

 まずタイトルに惹かれた。なんという衝撃的な一文だろう。

読む前は、

『これはよくあるヤンデレをこじらせた、イマドキの恋愛小説だろうな。心臓をたべたいというならまだしも膵臓というマニアックな臓器を選ぶなんて、洗練されたヤンデレだ…』

などと、タイトルから物語をそれこそマニアックに想像し、一人で感心していた。

実際は、

膵臓の病でそう長くは生きられないという秘密を持ったクラスメイトの女の子と、その秘密を知ってしまった地味で、あまり人と関わるのを好まない主人公のお話】

だった。私の想像よりはるかに、綺麗で、純粋な物語だった。

 

私は、物語は予備知識があまりない方が楽しめる。と思っている。だから、詳しく内容について語るつもりはない。興味を持った方は是非読んでみてほしい。私の最近のおすすめである。

 

この本を読んで、なぜか私は物語の大筋とは大して関係がないであろう、ある一節が印象に残った。それは、下記のようなものだった。

 

 世の中には大病治すではなく寄り添うという闘病法あるというのはどこか聞いたことあったでも、進化させるべき技術は、どう考えても治す技術であって、病気と仲良くする方法ではない。

 

クラスメイトと関わる中で、治らない病について、主人公が考えたことの一部分だ。

この一節を読んで、私は驚かされた。

病気というものは、付き合うものではなく治すべきもの。という考え方は、主人公が思うように一般的に持たれるものだろう。それが全てではないが、その考えは間違っちゃいないと思う。

 

治らない病気と生まれた頃から生きてきた私は、病気があることが当たり前になっている。それはこれからも変わることのないことだろうから、それなら共に楽に生きていこう。と、ある種の共存意識のようなものがあった。長年そういった考えで生きていたものだから、

「進化させるべき技術は、どう考えても治す技術であって、病気と仲良くする方法ではない。」

と言い切る一文に、「そうだった!!!治すという発想は、いつの間にか私の中で綺麗さっぱり消え去っていた!」という衝撃を受けた。

 

だからどうこうというわけではなく、私の病気が治る治らないも今の私にとってはどうでもいいことなのだが、思わぬところでそういった考え方に改めて気づかされた。というだけの話だ。

 

本は読む人や、読むタイミングなどによって感じることや受け取るものが違う。面白いものだ。

 

もし、他の人がこの本を読んだら何を感じ、どの部分に関心を持つのだろう。聞いてみたい気もする。